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某帝国大学の某キャンパスへ。ある夏の日の思い出。季節が寒さにむかう、肌寒い事務所で。

皆さんは、こんな経験がありませんか。
お腹をすかして、目当ての食堂を、見つけようと、暑いコンクリートの道をうろうろ。 やっと見つけた店は閉まっていて。 仕方なく入った店では、待たされて。 食べる時間がなくなって来て、やっと出てきた料理は。

その大学は、帝都東京の真ん中にありました。

正午過ぎ、空梅雨の日照りの中、守衛所をすり抜けて、中庭まで来ると、100人以上の人々が、行き交っていました。

シュロの林の木陰に、ラグビーのジャージ姿の集団がいて、ちょうど練習試合があったのでしょう。懐かしくも、その余裕に嫉妬を覚えながら、薄茶色の土がついている学生さんに、
「カフェテリアはどこですか」といいました。

相手は帝大生です、あくまでも丁重に。(昔、帝大生には、官憲といえども、丁重に接していました) ちょっと間があって、
「ああ、食堂ですね。あの建物の下らしいですよ」
と言われました。

古い煉瓦の建物の中は、ちょっと薄暗く、その地階はさらに薄暗かったです。真っ黒な鉄の扉に、カフェテリアと書いた紙が張ってありましたが、閉まっていました。
ドアのノブを回そうかとしばらく悩みましたが、人影がまったく無いので、やめて引き返しました。

中庭に100人いらっしゃれば、このキャンパスには今、200人以上居るかもしれない。
「食堂はどうして休みなの」と思いました。校門を出ると、車道があり、道の向かいには、コンビニ、大きなパン屋、等々が口を開けて待ち構えていました。

そのあと、電車に乗って、有名女子大学で開催のビジネススクールに出ることになっていました。
目当てのカフェテリアは閉まっていても、何か食べておかなきゃ。変なものは口にしたくないから、もり蕎麦でも。

その店は、まさに昭和初期という構え。ちょっといやな予感がしたけれど、とにかく入って、「もり一つ」と注文して腰掛けました。うんと時間がかかって出てきたもり蕎麦。器は年代ものの水垢がべったり。つゆの蓋は、ひび割れていました。やっぱし。

店のお客さんは、某帝国大学と関係のある人ばかりと見えました。母親と一緒のセーラー服の女子生徒。 白いシャツ姿の学生さんか、研究員風体の人。 助手か講師という感じの人。

蕎麦屋さんなのに、ソバとかうどんとか注文しているのは、私だけでした。皆さんは、中華定食750円、焼肉定食750円、特別定食850円といったものでした。この店は、学食の延長線上にあるようです。(でも学食よりは高い)

これが、大学と地元とのお付き合い、学食休んで、地元の食堂繁栄。商売の棲み分けと。考えすぎかな。

私も学生時代は、学食よりも、外食でした。
学生食堂は朝から営業して便利でした。
学食が休んでいて困ったという経験もありません。
お小遣が豊富というわけではなかったけど、午前の講義終了と同時に、校門の外に飛び出していきました。財布が寂しくなると学食へ行きました。

学食がどんなに頑張っても、どうしても街の食堂でしか得られないものがありますよね。 先生や先輩が居ないとか、洒落ているとか、いろいろです。学校の近くにあった大衆食堂の娘さんをお嫁さんにした、クラスメートも居ました。

学食の責任とは何でしょうか。早くて、手軽で、お得。その上、栄養のバランスもしっかりしていることかな。私は家から通っていました。だから、外食が多くても、栄養が片寄るなんてこと、考えませんでした。 いつも一緒の友達もそうでした。でも地方から来ているクラスメートは、学食でしっかりと食事していました。それは、学食のほうが安いという、お金の節約が理由ではないのです。

あ、そうか。地方の学生さんは、この時期地方にかえっちゃうのですね。
夏休みに入った土曜日。営業は赤字。仕方ないと思いました。

でも、夜が寒くなると、あの暑い中の彷徨も、楽しい思い出です。
homemade * - * 18:35 * comments(0) * trackbacks(0)

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